「僕、一番って好きだよ。一等賞に一位。一番星…は違うのかな。あれってどういう意味なんだろうね。よくわかんないや。……そう。昔はさ、ちょっとがんばればなれたよ、一番。簡単だった」
 膝の上に乗った翔太がつまらなさそうな声色で、そんなことを語りながら微笑んだ。一番になりたいだなんて、意外と子どもなんだな。思ってもない言葉を返してやると、むき出しの耳たぶを唇で食まれてしまった。
 ふふ、と意図して吐き出されたあまい息が耳に響く。
「……十四歳ってさ、まだ小児科に通わないといけないんだって。だから僕は大人じゃないの。知ってた?」
「そうなのか。知らなかった」
「微妙なお年頃だからね。仕方ないよ」
 よしよし、と今度は慰められるように頭を撫でられてしまう。まるで意味がわからない。唇は名残惜しさの欠片もなく離れていってしまった。
 ここのところずっとこうだ。仕事の合間。二人きりの事務所。こんな機会、滅多にあることではない。その滅多にない機会を狙って作っているのは一体どちらかなのかも、今となってはわからない。
 決して軽くはない体重をかけられても叱ったり、はたき落としたりしないのは、翔太がアイドルという商品だからだ――と、思っていた時期もあったが、どうやら違うらしい。らしい。自分のことなのになんて曖昧な表現なんだろう。すっとぼけているにも程がある。
 ――もうずっと前から、この重さを心地いいと思っているくせに。
「翔太」
 頭を撫で続ける腕を掴んで名前を呼ぶと唇が降りてくる。その唇を自分のそれで受け止めて、舐めあげた。薄く開いた唇の間に舌を差し込めば、翔太の身体がぴくりと跳ねる。
 翔太の重さを、唇の柔らかさを、肉の味を、あまい声を、身体の温度を知っている。冬馬や北斗ですら知らない翔太のことを知っている。
 こんな子どもを相手に馬鹿みたいだ。…そう、子ども。まだ小児科にかかるような年齢の子どもを相手に、笑ってしまうほど、馬鹿みたいな気持ちを抱いている。
 この少年のことが、アイドルのことが好きだ。十以上も歳が離れている子どもに欲情している頭のおかしい奴。そんな大人の相手をしている物好きなアイドル。きっと周りから自分たちはいびつに見えていることだろう。見られたことなど一度もないが。見られでもした場合、この見た目の組み合わせだ。金銭のやり取りが発生していると疑われたっておかしくはない。
 プロデューサーさんはいくらで僕を買ってくれるの? 実際、そう言われたことだってある。翔太が楽しそうに、そして興味深そうな顔をしていたから、そのときは手持ちの口座をぜんぶ教えてやると言った。心からの言葉だったが、今思えばまったく頭が湧いている発言だった。
 これで恋人という肩書きでも付いていたなら、バカップルの馬鹿らしい会話で済んだのだろう。けれど悲しいことに、信じられないことに、翔太は担当アイドルではあっても恋人ではなかった。
「…はっ……プロデューサーさん。これさ、職権乱用ってやつじゃない…?」
 濡れた唇が照明に照らされて、いやらしくひかる。職権乱用。どれのことだ。この状況のことか? いやこれはいつものことだし……ああ、格好のことか。バレンタインの時期に受けたPV撮影の仕事。そのとき着た衣装に身を包んだ翔太が、カーディガンの袖を指先で引っ張って、うん? と小首を傾げた。
「かわいいよ翔太。よく似合ってる」
「だってプロデューサーさんが選んでくれたんでしょう? それにさ、着てるのだって僕だよ? 似合うに決まってるよね」
 自信満々に笑う顔が、目元が、口元が、ああもう。どこを切り取ってもかわいい。
 この衣装は翔太の魅力が十二分に伝わるように考え抜いて選んだものだ。正直に言ってしまえば、企画をもらった瞬間から私利私欲で動いていた。ああそうだ、私利私欲で何が悪い。自分が選んだ衣装を自慢のアイドルに着せて、喜んで、喜ばれて。それ以上の幸福なんかない。
 剥き出しの二の腕を撫でながら、そういえば…と思い出す。
「そんな格好で踊れるのかって言ってた向こうのプロデューサーのアホ面、覚えてるか?」
「もっちろん。あの人、僕を誰だと思ってたんだろうね」
「…ジュピターの御手洗翔太だろ?」
「ジュピターの御手洗翔太は肩出しカーディガンを羽織ったくらいで踊れなくなるって思われてたんだ」
 心外なんだけど、と翔太が頬を膨らませて唇を尖らせる。その姿さえかわいかった。
 そのPVの中にはアイドルものらしく、ダンスシーンも入っていた。割と激しい動きだった。ダンスが得意だからと言ってほんとうにこなせるのかという懸念があちら様にはあったのだろう。踊れるの? そんな言葉を浴びせられても翔太はいつもと変わらなかった。他のメンバーと同様に与えられた仕事を淡々とこなして、一発オーケーをもらって。あのときの現場の空気といったら、今思い出しても最高だった。
 あれが冬馬だったなら熱くなって言い返していたんだろうが、翔太はそんなことをしない。できるとわかっているから、そんなことをする必要がないのだ。自分の実力で相手を黙らせる。結構なことだ。
「…やっぱり翔太はアイドルなんだなあ」
「、なあにそれ?」
「翔太のことが好きだってことだよ」
 くすくすと笑いながら上から下に向かってサスペンダーに指を這わせた。留め具のハートに指が当たったタイミングで首筋に唇を寄せると、えっち、なんて可愛らしい言葉を贈られる。えっちなのはどっちなんだか。まんざらでもないくせに。頬に口付けてカーディガンを床に落とす。二人分の体重を受けて、ソファがぎしりと音を立てた。
 十四歳。小児科。子ども。大人。そんな単語がふと、頭のなかでぐるぐると繰り返される。
「じゃあ、翔太と結婚できるまであと四年もあるのか」
「…結婚? 僕、プロデューサーさんと結婚しちゃうの?」
「嫌?」
 嘘でもいいから頷いてほしい。そんな願いは次の瞬間に打ち砕かれてしまった。
「まだ先のことでしょ? わかんないよ」
 何も知らない子どものような顔で翔太が笑う。…嘘だ。こいつはわかっている。わかっていて、その小さな手のひらの上で相手を転がすのだ。
「…でも僕、プロデューサーさんの一番にだってなりたいからさ」
 ――それが証明できるならしちゃうかもね。ケッコン。
 続いた言葉に年甲斐もなくときめいてしまって、約束ですらないその言葉に泣きそうになってしまって。何もかもを誤魔化すように、腕の中にいる翔太を抱きしめた。
「好きだよ。翔太」
 プロデューサーとアイドル。大人と子ども。子どもなのは、一体どっちだ。




子どもの楽園/180224