この季節になると飽きるほど目にする花のひらが、風に乗って舞い落ちる光景はなんとも幻想的だった。
「すごーい!」
 隣を歩いていた少年がそう言って俺の顔を覗き込んだ。
「ねえプロデューサーさん。ちょっと休憩していかない?」
 にこにこと子供らしい笑みを向けられて、かわいいな、なんて思いながらとっさに腕時計を確認する。時間はまだ十分にあった。いいよ。俺がそう返せば小走りで花びらが舞う中心へと向かって行く。両腕を広げてくるくると回りながら、桜が満開に咲いたこの街路樹の下で一人の少年が笑っていた。
 少年は――御手洗翔太は、ベンチに座った俺に対して満面の笑みを浮かべると、その場でぴたりと止まり、空中を舞う花びらを掬おうと真横に広げていた両腕を今度は上に伸ばしはじめた。
 ――ああ、かわいい。あいつ。攫われるんじゃないだろうな。
 馬鹿な俺は本気でそんなことを思ってしまった。
 桜の花びらがピンク色なのは木の根本に死体が埋まっているからだと良く聞くが、今ここで翔太を呼びつけて死体の話なんかしたらプロデューサーさんってほんとロマンがないよね! と嫌みったらしく言われることだろう。最悪、今日一日口を利いてくれなくなる覚悟もした方がいいのかもしれない。
 桜にまつわる迷信を言おうか言わないか一瞬だけ迷って、言わないことに決めた。翔太があんなに楽しそうにしているのだからわざわざ水を差さなくてもいいだろう、と手に持っていた缶コーヒーの中身を煽る。
「見て見てプロデューサーさん! 花びら、いっぱい取れたよ」
 俺の元へと駆け寄って来た翔太が笑う。差し出された手のひらの中を見れば本人が言ったとおり、たんまりと花びらが納まっていた。
 翔太は老若男女問わずに誰もを魅了するアイドルだから、もしかして花びらの方が翔太くん捕まえてよと寄ってきたのかも知れない。それか、これも翔太自身の才能だったりして。落ちてくる花びらを取るのが上手いアイドル。うん、あまりパッとしないな。
「ふぅー」
 そんな感じで思考を飛ばしていると、息を吸う音とわざとらしい言葉が耳に届いた。え、と思う暇もなく翔太の手のひらから離れた花びらが俺に向かってくる。翔太の吐いた息と花びらが惜しげもなく顔に当たって、俺は反射的に目を閉じてしまった。
「…もう! プロデューサーさんってばまた変なこと考えてたでしょ? すごいって言ってくれるかと思ったのに」
「……ああ、すごいな翔太」
「遅いよ!」
「はは、ごめん」
 かわいい。翔太のすること言うこと何もかもがかわいくて、怒ったり反論する気になんてなれない。
 翔太ってなんでこんなにかわいいんだろうな。眉を吊り上げて、僕怒ってるんだからねと訴えてくる表情も、ちょっとぶっている声のトーンも、その言葉も、何もかもが俺のツボを突いてくる。
 御手洗翔太という少年は、俺の好きなところをぜんぶ集めたような存在だった。俺にとって、そういう存在であろうとしている少年だった。きっと、ほんとうは、翔太は桜吹雪を見てもはしゃがないのだろうし、花びらを集めたりもしないのだろう。そうすれば俺が喜ぶと知っているからこいつはそうするのだ。
 俺の理想を体現して、俺の心を掴んで離さない。何を言ったってまだ子どもだ。そうする術しか知らないのだろう。けれど、俺は翔太のそういうところがかわいくて仕方なかった。翔太のそういうところが好きだと思えて仕方なかった。
 愛されている。
 この不器用な十四歳に、俺はどうしようもなく愛されているのだ。
「あーあ。せっかく集めたのにプロデューサーさんのせいでなくなっちゃったー」
 俺の隣に腰を降ろした翔太が残念そうに呟いた。
「…ふふ。プロデューサーさん、花びらついてるよ?」
 何か閃いたように翔太が言う。
 動かないで。そう続けると、翔太は俺の肩に手を置いて、ふぅっと息を吐いた。柔らかな吐息が耳に当たって、ぞくりと背が震え上がる。それを気取られないよう、俺はゆっくりと深呼吸をした。手にしていた缶を強く握り締める。
 ――小悪魔。ふと、そんな単語が頭に浮かんだ。
「……なあ翔太、花びらは取れたか…?」
 前を向いたまま口だけを動かすと、翔太は俺の耳元で嬉しそうに声を弾ませた。
「うん。だからもう一回、してあげるね」




このあと滅茶苦茶ふぅってされた/180324