――僕ね。冬馬君と付き合ってたんだ。
 頬を、うっすらと赤く染めた翔太が恥ずかしげもなく俺にそう告げた。なかなかに衝撃的なカミングアウトだと思った。同時に、このタイミングだから言えることなのかもしれないと思った。
 俺は二人のことを誰よりも見てきたつもりだったけれど、冬馬と翔太がそんなことになっていただなんて想像もしていなかった。俺が鈍いわけじゃない。冬馬と翔太が上手だったんだろう。仕事中。プライベート。俺たちが三人で過ごす時間は少なくない。なのに二人の間に甘い空気を感じたことなんて、一度もなかった。
 俺に、その可能性を察しもさせずに過ごしていた冬馬と翔太。わからなかったことが少しだけ悔しくて、知らされていなかったことが少しだけ寂しくて。でも、良かったと思った。二人が愛を育んでいる中に俺はどうしたって割り込むことなどできないのだから。だから、今日まで知らずにいることができて良かった。
「……付き合ってた頃はね。オフのたびにデートしてたし、隠れて手だって繋いでたし、キスもしてたしえっちもしてたよ。北斗君、ほんとに気づいてなかった?」
 思い出をひとつひとつ数えるように指を折り、くすくすと微笑みながら俺の目を覗き込んでくる翔太にこくりと頷く。冬馬と翔太がそんなことを。どっちがどう……と思い浮かべようとして、やめた。きっと、重要なのはそこじゃない。
 冬馬と付き合っていたと、翔太はそう言った。見事なまでの過去形。
 ナッツの盛り合わせに指先を沈めて、お気に入りのカシューナッツを摘み上げると、翔太はそれを自分の口元に運んだ。そうしてから、手元のグラスを持ち上げた。グラスの中には丸い氷と、少しだけ色が濁った液体が入っている。十二度数のアルコール。翔太が二十歳を迎えてずいぶんと経つ。子どもらしいしなやかさと小悪魔的愛らしさを残したまま、翔太は大人になっていた。
「……どれくらい、冬馬と翔太は付き合ってたの?」
 踏み込んで良いラインを探るように、そんな質問を投げかける。翔太は俺の言葉を受けて梅酒を煽ると微笑みを絶やさずに口を開いた。
「冬馬君が二十歳になったくらいまでだったから、三年かな。……あ。じゃあ、三年も北斗君に秘密にしてたってことだよね。ごめん」
「いや、気にしてないよ」
 とは言ってみたものの、俺は翔太の告白に驚いていた。三年。それだけの期間、俺は二人の関係に気がつかなかったわけだ。けれど、無理もないと思った。翔太は昔から冬馬をからかうことに楽しさを見出していたし、冬馬も翔太に対しては手のかかる弟のように接していたと思う。誰の目から見ても、冬馬と翔太は仲が良かった。距離がないことが当たり前の振る舞いをしていた。そしてそれは今も変わらない。別れた恋人の取る距離ではないほど、二人は近くにいる。
「僕が冬馬君のことを好きだったから、告白したんだ。好きだよって言って、付き合ってほしいっておねがいして。……うん、無茶苦茶なおねがいだよね。でも冬馬君、真っ赤な顔して頷いてくれたんだよ。僕、すっごく嬉しかったなあ」
 空になったグラスに梅酒を注ぐと、翔太はそれを一気に飲み干した。
 俺が見ていないところで二人がどんな言葉を交わして、どんな感情をぶつけ合ったのかはわからない。でも翔太は、きっと冬馬だって幸せだったんだろう。恋を継続させることがどんなに大変かを俺は知っている。その恋が枯れることなく三年も続いていたのだから、二人はうんと努力していたはずだ。三年の蜜月。……終わらせたのは、どちらだったのだろう。
「冬馬君の家に泊まった日の朝は、冬馬君が作ってくれる朝ご飯の匂いで目を覚ますんだ。でも僕はいっつも寝たふりしてた。冬馬君がベッドまで起こしに来てくれるの知ってたからね。冬馬君、僕のおでこにキスしてくれるの。『翔太、朝飯できたぞ』って言いながら」
「――ああ。冬馬らしいね」
「でしょー? 最後の日までそうだったよ。僕、ずるいなあって思っちゃった」
 テーブルの上に広げていたピーチリキュールの瓶に手を伸ばしながら翔太が苦笑する。慣れた手つきで空のグラスにリキュールを注ぎ、そこにオレンジジュースを落としていく。簡単に出来上がったファジーネーブルに口付けると、翔太は、まるでジュースみたいと口にした。そのジュースみたいな味が恋しくなるんだよ。俺の言葉に翔太は北斗君と飲むお酒は甘いから好き、と言って子どもの目をして笑った。
 俺も翔太も缶の酒は好きではなかった。
「……なんで別れちゃったのか聞きたい?」
「翔太が教えてくれるなら、聞くよ」
「ありがと。……ほんとはね、お墓まで持って行こうって思ってた。でも僕、もう間違えたくないから。北斗君なら正解を知ってるかなって。……変だよね、自分のことなのにわからないのって」
「……間違いって、何が? 翔太は冬馬のことが好きで、冬馬もその想いに応えてくれたんだろ? なら、そこに間違いなんてあるわけない」
 咎めるような俺の口ぶりに驚いたのか、翔太は目を丸くして、それからすぐに逸らした。カシューナッツを一粒放った指先がそのまま唇をなぞる。
「愛し方をね、間違えたんだ」
 冬馬のことが好きだった。好きだと思うたびにそれを告げて、キスをして、身体を繋げて。翔太ができる愛情表現の限りを冬馬に尽くした。冬馬はそれに耐えられなくなったらしい。二十歳を過ぎた頃から冬馬は世間一般の常識というやつを気にしだした。男は女を愛するもので、家庭を作るもので、子を成すものでというお決まりの文句。当然、翔太と愛し合っても叶わない。二人は男同士で、結婚もできなくて、子どもだって望めない。冬馬はそのことに後ろめたさを感じ、悩んでいた。冬馬がひとりっ子で翔太が長男であったことも関係していたのだろう。自分たちの愛は誰からも許されることはなくて、歓迎されるものでもない。世界は二人だけではなかった。世界は二人のためにできてはいなかった。
 二十歳になった冬馬は「普通」ではない自分に疲弊していた。翔太に好きだと言われるたびに、キスをせがまれるたびに。翔太の想いを間違いだと否定するようなことは決してなかったが、翔太の想いを受け止めることができなくなっていた。翔太は結婚も子どもも必要ない、冬馬さえいてくれればそれで良いと言い聞かせたが、冬馬は違った。冬馬は翔太のことを好きな自分自身をおかしいと思っていた。もともと男が好きだというわけではなかったのなら、その思考は自然なことなのかもしれない。
「……それで、なんだかかわいそうになっちゃって。僕が好きだよって言うたびに冬馬君、苦しそうな顔をするようになったから。これ以上は無理だって泣くから。嫌でも終わりが見えちゃった」
 ――僕がもう少しだけ上手に愛してあげられたら、冬馬君を不安にさせることもなかったのかな。
 そう、翔太は温度のない言葉を吐き出した。
「あーあ。自殺しちゃいたいなあ。今ここで死んじゃえたら楽になれるのに。ねえ北斗君、僕のこと殺してもいいよ?」
 そう言っておどけてみせた翔太の言葉は、おそらく本気のものだ。
 冬馬には、女性の恋人がいる。今まで誰にも言えなかったが、翔太に良く似た子だなと、俺は彼女の存在を冬馬に聞かされたときからずっと思っていた。子どものように笑い、食べることが好きで、いたずら好きの彼女。朝が苦手だから冬馬がよく起こすのだと言っていた。仕方ねえからな、なんて愛おしさに溢れた目をして、冬馬は幸せそうに笑っていた。
「っ……僕じゃ、だめだったんだよね。冬馬君、僕とじゃ幸せになれなかったんだよね」
 翔太は潤んだ目元を手のひらで拭っていたが、一度決壊したものを止められなかったらしい。ぽろぽろと大粒の涙をこぼしはじめた。
 俺がそう感じていたくらいだ。賢い翔太は、そんなこと言われるまでもなくわかっていたのだろう。翔太に良く似た冬馬の彼女――婚約者。
 明日、冬馬はその子と式を挙げる。
「やだ、いやだよ、だって僕のほうがぜったい冬馬君のこと好きなのにっ、こんなに愛してるのに、っう、冬馬君…ッ、ぼくが幸せにしてあげたかった、冬馬くん、冬馬くんっ、冬馬くん…っ!」
 声を上げてわあわあと泣き出した翔太にかける言葉が見つからない。
 俺はグラスに溜まったワインを飲みながら、冬馬のことが好きだ、愛してると言って泣く翔太のことをどこか遠くから美しいと思っていた。一人の人間をこんなに愛せることが羨ましいとさえ思った。泣いて、泣いて泣いて。張り裂けそうな愛を叫んで。翔太がこんな風に泣くだなんて、俺は知らなかった。そんなに冬馬のことが好きだったなんて、知らなかった。
 夜は、翔太を救ってくれない。俺にも翔太を救えない。
 翔太を救えるただ一人は、それでも翔太を置いていくのだ。




君の永遠になりたかった/180427