※リバを匂わす描写があります


『今夜は満天の星空で、数多くの彗星が接近し、地上からも肉眼で観察することができると言われています。先生、子どもたちは彗星を流れ星のように捉えていて、願いをかけたら叶うと言われていますが、彗星と流れ星、このふたつの星の違いはなんなんでしょう?』
『彗星に願いごとですか。なかなかロマンティックですねぇ。えー……彗星と流れ星には明確な違いがあります。まず流れ星というのは地上に落ち――』
 数日前からニュース番組はこの彗星の話題で持ちきりだ。街の人間は夜空を見上げて忙しない。ときたま、おお、と感嘆の声が上がり、彼らは彗星を見ることができたのだろうなと察する。街の人間と同じように車の助手席から窓の外を見上げれば、ため息が出るほどきれいな星空が広がっていた。
 握りしめていたスマートフォンが震えて慌てて持ち上げる。表示されていた名前は同じユニットのメンバーで、いわゆる恋人のものだった。もしもしと応えれば、おつかれーと間延びした言葉を返される。
『冬馬君、今帰り?』
『おう。プロデューサーに送ってもらってる』
『ええっ、プロデューサーさんも一緒なの? 代わって代わって』
『運転中の人間にスマホ握らせられっかよ。スピーカーにすっから、ちょっと待ってろ』
 スマートフォンを操作して通話をスピーカーモードに変える。運転席に座っている人物に「翔太があんたと話したいんだと」と声を掛けてコンソールにスマートフォンを置いた。
 ――彗星が落ちるまでに願いごとを心の中で唱えればその願いは叶う。
 馬鹿みたいな話だ。何十年とないこの自然現象にかこつけてメディアは話題作りに必死らしい。この情報が初めて世に流れたとき、恋人は「一緒に見たいね」と口にしていた。あいにくその日は仕事で叶うことはなかったのだが、けれど、と思う。特別なことがなくたって一緒に居られるものなら一緒に居たい。
 白く輝く彗星が落下する瞬間を見つめながらそんなことを思った。

 玄関の扉はきちんと鍵が掛かっていて、何度インターホンを押しても反応がない。どうしたものかと渡されていた合鍵を握りしめて思案する。この部屋の奥に居るとは思う。緊急事態だとも思う。でなければあんな鬼のような着信履歴やメッセージが残るはずがない。これが最後だ。これで駄目なら鍵を使おう。そう決断して人差し指を伸ばした矢先、上着のポケットに入れていたスマートフォンが震えた。
『さっさと入ってこい』
 らしい命令口調だ。最後の挑戦を諦めて握りしめていた鈍色の塊を歪な鍵穴に差すと、九十度回転させた。ガチャンと重たい音がして扉が開く。
「お、お邪魔しまーす……」
 見知ったはずの部屋は閑散としていて明かりもついていない。扉を閉めて鍵を掛け、靴を脱ぐ。いつもなら用意されているスリッパも定位置にあった。何もかもがいつもと違う。靴下のまま、そろりと足を踏み入れる。見れば、灰色がかった廊下の先に同じ色の塊が落ちていた。
「……なんで?」
 近寄り、拾い上げるとそれはスウェットのパンツだった。人肌を失ってすっかり冷たくなっている。ここはトイレの目の前。扉も半開きの状態で、ますます疑問符が浮かび上がる。
 事件に巻き込まれた――という可能性は低いと思う。本人からの連絡がそれを否定している。ならば具合でも悪いのだろうか。けれど昨日電話したときはそんな素振り見せていなかった。訝しみながらも部屋に入る。ベッドの上、乱れた掛け布団の中身はもぬけの殻だった。
「冬馬君? どこにいるの?」
 自分を呼びつけた男の名前を呼びながらきょろきょろと部屋を見渡す。布同士が擦れ合う音が聞こえた先にはクローゼットがあった。スマートフォンだろうか、人工的な明かりが漏れている。
 ……本当に、どうしちゃったんだろう。動揺と心配がない混ぜになった心地のなか、完全に閉まりきっていない扉に指を掛けて思いきり開けた。
「遅えよ、ばか翔太」
「えっ? とうまく――ッ」
 クローゼットのなかでくしゃくしゃになった洋服に身を包み、縮こまっている男が考える暇を与えるものかと手を伸ばしてきた。
 手首を掴まれて、引き寄せられて、抱きしめられる。ぎゅうぎゅうと痛いくらいに抱きしめられて、そのまま。奪われた唇が艶だった吐息を漏らす。ぬるりと入り込んできた舌は温かく柔らかい。恋人である冬馬からの口付けを享受しながら、翔太は違和感の正体を探す。
 思えば、最初からおかしかった。まだ日も登りきっていないうちから連絡が来るなんてこと、今まで一度もなかった。冬馬は翔太がインターホンを押せばいつだって出迎えてくれるのに今日はそれもなかった。服を廊下に脱ぎ捨てるだなんて以ての外だ。らしくない。冬馬にはありえない行動ばかりだ。
「っは、しょうた…」
 冬馬の舌先が翔太の唇をなぞり、甘い言葉を吐く。聞き間違いじゃない。その声は冬馬のものではなかった。ゼロ距離になっている身体をぐっと押して距離を取る。寝癖のついた後ろ髪にどこか気だるげな瞳。そのどこを切り取ったって冬馬だ。けれど。
「冬馬君、なの……?」
 恐る恐る口にすれば、冬馬はくしゃりと前髪をかき混ぜて「俺だって知らねえよ」と吐き捨てた。ひどく投げやりな言葉だった。悲しんでいるのか怒っているのか検討もつかないが、きっと両方だろう。
 チッと舌打ちをした冬馬がその場でゆっくり立ち上がると、肩から羽織っていたシャツやコートが落ちていく。翔太の目の前に真っ白な生脚が広がった。
「起きたらこうなってたんだよ」
 見上げた先、明らかにサイズが合っていないスウェットの下、冬馬の肉体はなだらかな曲線を生んでいた。何度瞬きを繰り返してもその光景は変わらない。翔太の目には女の身体が映っている。
「えっと……これ、ドッキリ? 北斗君の仕込みだったりするのかな?」
 思わず立ち上がり、まるで背丈が変わらない女の頬や肩にぺたぺたと手のひらで触れる。そんなことをしていると、その動きを咎めるように手首を掴まれた。
「んなわけねえだろっ! 俺だ! 天ヶ瀬冬馬だッ!」
「わあっ!」
 自分のことを冬馬だと主張する女に腕を引かれてベッドの上に放り投げられる。ほどよい硬さのマットレスは翔太の身体を乱雑に受け止めた。起き上がろうとしたが、馬乗りになってきた女に唇を塞がれる。
 冬馬からの口付けに、食べられてしまうんじゃないかと思ってしまうことがある。呼吸を奪うようなキスはいつだって勢い任せで、きっと世の男が女性に贈るようなものとはほど遠い。
 こじ開けられた唇の隙間から侵入してきた舌先が余すところなく口の中を掻き回す。舌同士を絡ませあって、滴る唾液を飲み込んだ。分泌される唾液はどちらのものともわからないがほんのり甘い。この味を知っている。冬馬の味だと思った。冬馬以外の人物など知らないくせに、今自分に触れている人物を冬馬だと認めてしまえば身体は簡単に熱を帯びはじめる。
「っ…ふ、ん、んぅっ」
 女の――冬馬の手のひらが胸の上を滑る。何もない平らな胸を中心に寄せると乳首を探しているのか指の先でくすぐってくる。いつもと同じ触り方。もう疑う余地もない。
 服の上から乳首を摘まれて、翔太はびくんと身体を跳ねさせた。これ以上は駄目だ。これ以上触られたら求めてしまう。反応しはじめた自身を恨めしく思いながら、嬌声にも満たない、けれど艶めいた息を吐き出した。
 おろそかになっていく舌の動きに気づいたらしい冬馬がゆっくりと離れていく。見上げた先で、冬馬は恍惚とした笑みを浮かべていた。
「な? 俺だってわかったろ?」
 シャツのなかに差し入れられた手のひらが腹を撫でる。そのまま胸元までシャツを捲られて、翔太は上半身を晒すかたちになってしまった。
「や…冬馬く、待って、だめっ」
 抵抗する暇もなく胸元に唇が降りてくる。かわいい、なんて独り言を呟いた冬馬の舌先が乳首に触れて翔太はぎゅっと目を閉じた。
「ひっ――!」
 柔らかな、生温かいもので突起を弄ばれる。くちゅりと濡れた音を響かせながら舌で転がされたり唇で吸われたり。そんな風にされるとどうしたって気持ち良くなってしまう。もっと気持ち良くしてほしいと思ってしまう。
「ん、んんっ…あ、はぁ」
「かわいい、翔太」
 おまえが女になってたらよかったのにな。
 そんな言葉にハッとしたのも束の間、勃ちあがったペニスをすりすりと撫でられて腰が甘く痺れてしまう。上体を起こした冬馬がベルトに手をかけ、パンツのジッパーを降ろしたのはすぐのことだった。
「…ね、もうやめようよ、冬馬くん、」
「なんだよ。嫌なのか?」
「うう……っだって、僕、」
 首を振って否定する。嫌などではない。ただ、冬馬に挿れられたいと身体が疼きはじめているからここで止まってほしかった。
 だって冬馬は今、女なのだ。女の冬馬に挿れてほしいとすがってみたところで欲しいものは与えられない。快楽に弱くて欲しがりなこの身体が指だけで満足できるとも思えない。ないものねだりをして冬馬を困らせたくはなかった。
「仕方ねえなあ……じゃあ、」
 四つん這いで近づいてきた冬馬に口元を覆っていた手を取られる。導かれた先にあったのは曲線だった。柔らかな、女の胸に手のひらが触れる。
「おまえが俺に触れよ」
 そう吐き捨てた冬馬は意地の悪い顔をしていた。

 翔太の手のひらが膨らんだ胸に当たっている。不思議な気分だった。けれど真っ赤な顔をした翔太がはくはくと唇を動かすさまがかわいくてどうでも良くなってくる。
 ――そう、さっきから翔太のことがかわいくてたまらない。女の身体になってしまったから、頭のほうまで女のような思考になっているのだろうか。だって好きだろう。女は年下の男というやつが。
「ほら。おまえ女の身体に触ったことねえだろ? もらっとけ」
「そうだけどっ、そうなんだけど、でも冬馬君じゃんっ!」
「俺で悪かったな!」
 ぐっと翔太の手を引き寄せると乳房は簡単に形を変える。女の身体なんて俺だって触ったことねえのに、なんてことを思いながら冬馬は深呼吸にも似た息を吐いた。
 どうしてこうなってしまったのかわからない。目が覚めて、用を足しにトイレに向かってズボンを降ろしたときにはもうこの身体になっていた。あるものがない。ないものがある。混乱の果てに冬馬はスウェットのズボンを脱ぎ捨ててスマートフォンを手にクローゼットへと身を隠したのだ。男が女になる。ありえない。親父に……いや、プロデューサーに連絡しねえと。そう思っていたのに、冬馬が鳴らしたスマートフォンは翔太のものだった。
「あっ…、く、ふぅ、」
「冬馬くん声出てる……気持ちいいの?」
「おまえ…っ、わざとやって、ぅあっ」
 慣れてきたのか両手を使い遠慮なく胸を揉み込まれて冬馬は身悶えた。
「へへっ、冬馬君のおっぱいやわらかぁい」
 そんな翔太の言葉にキュンと胸が高鳴る。どう考えたっておかしい。女の身体を以てしても翔太に対して『抱きたい』という感情しか湧いてこない。男の象徴が消え失せている股間は何やらすっかり濡れていて、スウェットのトレーナーに隠れている下着の色を変えていた。
 今、自分たちは男と女なのだ。ならば女である自分が抱かれるかたちになるほうが自然だ。なのにどうしたって翔太を組み敷いて暴きたいと考えてしまう。翔太の中に入って、思いきり腰を打ちつけて翔太の体内に自分の遺伝子を植えつけたい。それができないことがもどかしくて悔しいと思うのに、身体の奥からじわじわと何かがあふれてきてわけがわからなくなる。
「ひあっ!」
 乳首を弾かれて思わず高い声が出た。翔太は小悪魔めいた笑みを浮かべて「冬馬君女の子みたい」と呟いた。みたいじゃなくて本当に女なんだよ。弁明する余地も与えられず、トレーナーの上から乳首をこねくり回されて腰が跳ねる。
「ばっ、それやめっ…んくっ」
「かーわい。乳首で感じちゃう冬馬君、僕大好きだよ」
「言うな…あっ、はあ、うぅ、」
 快楽とも痛みとも区別がつかない刺激を与えられて、ベッドについていた腕から力が抜けていく。それに気づいたらしい翔太が冬馬から手を離した。そのまま、力が抜けたほうに半身の自重を預けてベッドの上に寝転がる。体勢を崩したとき、下着のなかでぐちゅりと嫌な感触がして思わず顔をしかめた。
「大丈夫? ごめんね、僕がいっぱい触っちゃったから……」
「、いいって。俺が触れっつったんだ、気にすんな」
 ああかわいい。早く抱き潰したい。
 心配そうに覗き込んでくる翔太の頬を撫でながら劣情を抱く。どうすればいいのだろう。どうすれば男に戻れるのだろう。今すぐに戻ってこの熱を解放したい。そもそも女はどうやって性的な快楽を発散しているのだろうか。男に挿れられたら良いのか? 男に――翔太に?
「……翔太。おまえさ、俺に挿れたいって思うことねえのかよ」
 気づけば口にしていた。二人の肉体関係はいつだって翔太が受け身だ。けれど翔太だって男なのだ。冬馬が翔太のことを抱きたいと思うように、翔太だって冬馬のことを抱いてみたいと思うことがあるのではないだろうか。翔太がそう思ってくれているのなら、受け入れても良いと冬馬自身は考えている。
 そんな冬馬の問いかけに翔太はかあっと顔を赤く染めた。触れている頬がじんわりと熱を持つ。
「図星か?」
「ちが、違うよ。そりゃあ僕だって冬馬君に気持ちよくなってほしいって思ってるけど、でも、」
「……でも?」
 首を傾げて続きを促せば、翔太は目を逸らして唇を尖らせた。
「……っ、かんないから」
「は?」
「ゴムの付け方! わかんないから!」
 真っ赤な顔をしてそう言い放ち、冬馬に背を向けて丸くなってしまう。そんな翔太がやっぱりかわいくて冬馬は起き上がった。小さな背中に抱きついて耳元に唇を寄せる。
「おまえも大概格好つけたがりだよなあ、翔太」
 きっと、それだけが理由ではないのだろう。けれど冬馬は翔太に追及しなかった。受け身を経験したことがない冬馬には想像もつかないような理由があるのかもしれない。言いたくないなら言わなくても良い。今はただ、どんなかたちであれ翔太と熱を共有したかった。

 乱れたベッドの上で冬馬は目を覚ました。
 起き上がり、伸びをして、やっちまったと大きなあくびをこぼす。発声に違和感を覚えて何も身に着けていない己の身体を見下ろすと、胸についていたふたつの膨らみは跡形もなく消え、自慢というほどではないがそこそこの太さを持つ男性器がその存在を主張していた。
「男に戻ってるぜっ! おい翔太! 起きろっ!」
「んう……んー……」
「起きろって!」
 同じく全裸の翔太を揺さぶるも一向に目を覚ます気配はない。むにゅむにゅと動く唇に自身のペニスを咥えさせたい衝動に駆られながら、冬馬は脱ぎ捨てた下着に足を通そうとして――止めた。汚れた下着を放り投げてタンスのなかから新しい下着を取り出す。そのままシャツとジーンズも着込んで、冬馬はすっかり散らかった部屋の片付けをしはじめた。
『もしもこのまま、俺が女の身体から戻れなかったら、おまえどうする?』
 行為の最中に口にしたことを思い出す。翔太は涙目ながらも微笑みを返してくれた。甘い吐息を漏らす唇が「好きなままだよ」と囁く。
『冬馬くんと結婚して、御手洗冬馬になってもらう、とかさ…悪くないよね』
 あれは良かった。いや良くはない。けれど心の底から安堵したのも事実だ。
 翔太は自分のことを男だから好いているのだと思っていた。同性に対する憧れのような感情のことを『好き』という言葉で表現しているのだと思っていた。けれど、冬馬が女のままでも良いと言ってくれた。結婚するとまで言ってくれた。それは翔太に冬馬のことを手放す気がないということと同義だろう。女なんてこの世界に掃いて捨てるほど居るというのに、それでも冬馬を好きでいると翔太は言ってくれたのだ。
「翔太が起きちまう前に飯でも作るか」
 片付けもほどほどに、眠る翔太の頭を撫でて踵を返す。女になってしまった原因なんてもう考える気にもならない。
 冬馬は翔太の言葉が嬉しかった。一緒に居ると、一生を誓うような言葉をもらって嬉しかったのだ。




彗星ディストーション/190210