あのとき、僕はイルミネーションなんか見てなかった。

 女の子にかわいいって言い続けたら見違えちゃうほどかわいくなるって話を聞いて、なら、好きだって言い続けたら好きになっちゃうのかなって思った。相手はもちろん冬馬君。好きだよって言い続けたら、僕のことを好きになってくれるかな? ――なんてね。
 冬馬君が、ジュピターと僕を天秤にかけてジュピターを選んだことくらい、最初からわかってた。僕の告白を拒絶してギクシャクしちゃうくらいなら、気持ちはどうあれ受け入れたほうが楽だもんね。そうしてくれるって知ってたから、僕も冬馬君に好きだって伝えられたんだ。
 ずるくてひどいのはお互い様。僕たち、結構お似合いなのかも。
「好きだ。俺も、おまえのことが、」
 熱があるんじゃないかってくらい赤くなったほっぺたと、涙の膜で潤んだ瞳。マフラーで口を隠した冬馬君が僕を真っ直ぐ見つめながらそんなことを口にした。
 本格的な冬入りはまだだって天気予報で言ってた日のこと。なのに気温は10℃を切って、肌に当たる風がすごく冷たかった夜のこと。ちゃあんと覚えてる。
「……どこが? 冬馬君は僕のどこを好きになってくれたの?」
「ど、どこって、」
「教えてよ」
 僕は、そこが僕の家の前だってことも忘れて冬馬君に手を伸ばした。目を逸らしちゃった冬馬君の赤いほっぺたを手袋越しに包んで見上げる。
「……おまえが、俺のこと、好きだって言うからっ……」
「うん。好き」
 頷けば、冬馬君はキッと眉毛を釣り上げた。
「好きだって言ってくるやつ、嫌でも意識するだろ!」
「わっ!」
 強い力で腕を引かれて、僕は冬馬君の腕の中にすっぽりと収まった。これ以上は近づけないってくらい抱きしめられて冬馬君の息が耳に掛かる。
「翔太…、」
 冬馬君の身体は熱くて、心臓だって破裂しそうなくらいうるさくて、かわいそうなくらい震えてて。迷子の子どもを見つけたときのお母さんみたいだなあって思った。……ううん。お母さんを見つけた迷子の子どもって表現のほうが正しいのかもしれない。泣き出しそうな声で名前を呼ばれて、僕は冬馬君を抱きしめてあげたくて仕方なかった。
「どこが好きとか、何が好きとかわかんねえ……でも、気づいたらおまえのことばっかり考えてて……っ、そういうもんじゃねえのかよ」
 後頭部を支える手のひらで後ろ髪をくしゃくしゃにされる。その感触が心地よくて僕は目を閉じた。マフラーに隠れた首すじに鼻を寄せたら冬馬君の匂いでいっぱいになって、ずっとこうしていたくなった。
 僕は冬馬君の手も声も、自分の気持ちに素直で真っ直ぐ突き進んじゃうところも、からかい甲斐があるところも面白くて好きだなって思う。美味しいカレーを作ってくれるところも、得意げな笑い方も、ぶっきらぼうな眉毛もちょっと俺様なところも。ぜんぶ冬馬君だから好き。
「まあ、そういうもんかもね」
 どうして、だとか。なんで、だとか。僕のことを好きになってくれたなら理由なんていらないよ。冬馬君の手が、声が、心臓が、嘘じゃないって教えてくれたから。
「よかった」
 ずるくてひどくて、それ以上に優しい人。
 背伸びをして奪った唇は、指でも触ったことがなかった冬馬君の唇は、びっくりするほど冷たくて柔らかかった。


 あのとき、僕はイルミネーションなんか見てなかった。
 きらきら光る冬馬君の瞳だけを見つめてた。

 駅に続く大通りの端から端までライトアップされたイルミネーションは、クリスマスを過ぎた今も光り輝いてくれている。シャンパンゴールドにスノーホワイトの光。それが透き通った冬馬君の瞳に映って、すごく、すごくきれいだった。
 冬馬君には内緒の話。本当は僕もイルミネーションに興味なんてないんだ。姉さんたちが見に行きたいってはしゃいでたときもはいはいって聞き流してた。でも、好きな人に好きになってもらうためには効果的なんだって話を聞いて、ゲンキンな僕はすぐにライトアップされている施設を調べ始めた。
 幾億の光が映って大きくなった瞳。見つめ合えばドキドキして、人は自分が恋に落ちたんだって錯覚しちゃうらしい。吊り橋効果ってあるけど、そんな感じ? 人間って不思議だ。不思議だけど、乗らない手はないよね。
 だって冬馬君は僕のことを何とも思ってなかったんだもん。好きだって言ってくれたけど、いつ気が変わるかわかんないし。錯覚でも何でもいいからもっと好きになってほしいよ。まだ、もう少しだけ。冬馬君を繋ぎ止めておきたいから。
「すげーなこれ。いくら掛かるんだろうな」
「……冬馬君ってさ、あれだよね。水族館に行ったらあの魚うまそうとか指差して言うタイプだよね」
「言わねえよ! つーか、言ったっていいだろ別に……聞いてるのはおまえだけなんだから」
 照れくさそうにそんなことを言う冬馬君を適当にあしらって紙コップに入った飲み物を啜る。名前は何だったっけ? チョコレートって入ってた気がする。限定のやつ。僕には甘すぎてもう飲まないと思うけど。
 シーズンを過ぎたからか、みんな見慣れちゃったからか、わざわざ立ち止まってまでイルミネーションを見上げている人は居ない。僕と冬馬君は空いたベンチに座ってひと休みしていくことにした。
 僕たち、冬場はどうしても忙しくて、仕事が一段落着いたって思っても、今度は誕生日に合わせたライブツアーが待ってるから結局四月まで駆け抜けることになる。ああそうだ、誕生日。北斗君の誕生日のお祝い、今年もうんと喜んでもらえるようなものを用意しないと。
「ねえ冬馬君。北斗君の誕生日どうしよう。やっぱり手料理かなあ」
「それはおまえが食いたいだけだろ」
「えー? そんなことないよ。北斗君だって冬馬君のご飯大好きだし、僕も手伝うから何でも言って」
「期待したって包丁は持たせねえぞ」
 呆れた声で僕の申し出を切り捨てる。「味見だけよろしく頼む」って。それじゃいつもと変わらなくない? 文句をつけようにも猫の手もしたことがない僕の敗北は見えていた。賢い僕は自分の立場を見誤らない。「はーい」なんていい子ぶった返事をして冬馬君の身体にもたれかかった。
 最近の冬馬君は少し変だ。いつもだったら重いって引き剥がされるはずなのに許してくれるし、さっきだって水族館に僕が居る前提で話してた。いいんだけどね、嬉しいんだけどね。僕と二人きりになっても何か考えなくちゃいけないことがあるみたいで、冬馬君は難しい顔をすることが増えた。
 手を握ったりキスをしたり、そういう触れ合いにも慣れてきて。僕としては上手くいってるって思ってたんだけどなあ。今もほら、眉間にしわをギュッて寄せてる。
「……なあ翔太。おまえ、あれはどうしたんだ?」
「あれ? あれって何?」
 冬馬君らしくないぼそぼそ声につい聞き返す。
 起き上がってみれば、冬馬君は居心地が悪そうに手のひらで口元を覆っちゃってた。怒ったり恥ずかしそうに、じわじわ赤くなっていく顔が面白い。
「あれはあれだ! ほらっ、あの…っ、前に楽屋に来た女が…! おまえがもらったCDのことだよ!」
 そうはっきりと言われて、あれのことかと思い出す。
 僕は僕のファンだっていう女の子からデビューシングルを手渡されていた。もちろん冬馬君の目の前で。やましいことなんて何一つない。そもそもあれは僕が欲しいってねだったものじゃなくて向こうが押し付けてきたものだし。
 あのCDは北斗君と中身を見たっきり一度も開いてない。冬馬君に聞かれるまで存在すら忘れちゃってたよ。でも、冬馬君はずっと気にしてたのかな。メモに書かれてた番号に連絡しちゃわないかって? ねえ、それって、それってさ。
「冬馬君、妬いてくれてるの……?」
 すっかり元気をなくしてうなだれた冬馬君におそるおそる話しかければ、勢い良く顔が上がってキッと睨まれた。あはは。涙目だからぜんぜん怖くない。
「悪いかよ。こんなこと気にして、女々しいって思ってるんだろ」
「……思ってないし、連絡だってするわけないじゃん。あのCDもね、琴梨ちゃんには悪いけど捨てちゃった。僕が好きなのは冬馬君だけだから。冬馬君が泣いちゃうようなことはしないよ」
 目の前に広がるイルミネーションを見つめながら嘘と本音を口にする。今もリュックの中に入れっぱなしのCDは、あの子の僕への気持ちごと処分しちゃおう。
「ごめんね」
 謝ったら本当に涙がこぼれ落ちるんじゃないかって思ったけど、冬馬君はゆっくりと首を振るだけだった。
「おまえが俺を好きでいてくれるなら、それでいい」
 濡れた瞳と目が合う。シャンパンゴールドにスノーホワイトの光。それが小さな宇宙みたいで、僕は冬馬君から目が離せなくなった。
「うん」
 冬馬君もそうだったらいいのにな。願うことしかできないけど、僕は明日も明後日も、ずっとずっと先の未来まで冬馬君のことを好きでいるんだと思う。




さよなら琴梨ちゃん/200223