※冬翔アンソロ寄稿作品のWEB再録


「どうしたんだ? 冬馬、今日はこれから翔太の結婚式だっていうのに」
 両手の指を絡めて膝の上に置き、脚を組んだままの体勢で北斗がそう口にした。見慣れないグレーのスーツを着ている北斗に「心配しなくたって、おまえもよく似合ってる」と微笑まれて、俺は絶句した。
 首元を締める窮屈なネクタイ。ぴしりと糊の利いたYシャツ。自分のものではないはずのブラックスーツは昔、黒井のおっさんに見立てられたものよりもきらびやかだ。あのときは確か、業界の偉い連中と食事をするからと高そうなホテルに連れて行かれたんだっけか。隣には北斗と翔太も居た。
 ――そう、翔太。翔太が結婚。……結婚ってなんだ? 男と女が大層な祝福を受けながら永遠の愛を誓い合うっつーあれか? でも、俺の勘違いでなければの話だが、翔太は俺のことが好きだったはずだ。北斗にだって内緒にしている秘密。俺たちは恋人同士というやつなのだから。
 前髪を掻き上げようとすればワックスで固められているのか髪に指が通らなくなっていた。というか、前髪はすでにセットされていて、きれいにまとめ上げられていた。
「――大丈夫ですか、冬馬さん。具合が悪いなら少し車を停めましょうか?」
 まだ時間には余裕があるので、と運転席からプロデューサーの声がする。プロデューサーも俺たちと同じような格好をしていた。
「……いや。問題ないぜプロデューサー、このまま行ってくれ」
 それだけを口にして、背もたれに身体を預ける。目を閉じて深く吐いた息は誰に拾われることもなく消えていった。
 意味がわからない。この状況の何もかもが。そもそもあいつはまだ結婚できるような歳じゃねえだろ。じゃあなんだ、これは夢なのか。俺が見ている夢なのか。最悪だ。夢ならさっさと醒めてくれ。そう思って握りしめたこぶしは爪が食い込んで痛かった。
「……本当にすみません。こんな大事な日に仕事を入れてしまって。翔太さんにも申し訳ないです」
「プロデューサーが気にすることじゃありませんよ。幸い、式は夕方からですしね。それに翔太のスケジュールはちゃんと調整してくれたじゃないですか。十分です」
「ありがとうございます、北斗さん。……式、楽しみですね」
「ええ、とても」
 そんな二人の会話が右から左に流れていく。
 今からでも遅くない。誰か嘘だと、冗談だと言って俺のことを笑い飛ばしてくれ。


 仕事が終わり、プロデューサーが運転する車に乗り込んだのは昼過ぎのことだった。翔太が、「僕、プロデューサーさんの隣がいいなあ」と言って我先に助手席の扉を開けて座り込んだから、俺と北斗は仕方がねえなと顔を合わせて後部座席に座ることにした。
 余談だが、俺たちのプロデューサーは多忙を極める。仕事の様子を見に来ないことも多い。そういう場合にはマネージャーが付いて来るが、今回は珍しく遠出の仕事でスケジュールの都合もついたらしく、プロデューサーが同席していた。
 朝っぱらの早い時間から移動して、求められた仕事をきちんとこなして。昼飯を腹いっぱい掻き込んだあと車に乗ったからか、最初はプロデューサーと会話をしていた北斗も翔太も、一時間もすれば目を閉じていた。
 二人の寝息につられて頬杖をついていた頭がカクンと落ちる。バックミラー越しに見られていたのか、プロデューサーが小さく笑った。
「お二人とも寝ちゃいましたね」
「……ああ、こいつら寝汚えから」
「それだけではないと思いますが……冬馬さんもお疲れでしょう? 事務所に着いたら起こしますから、どうぞお休みください」
「ん……サンキューな。プロデューサー」
 眠くて堪らなかった俺はその提案に頷いてすぐに意識を飛ばした。体感は十分。プロデューサーに声を掛けられるよりも先に目が醒めてしまい、違和感に気づいたのはすぐのことだった。
 まず、乗っている車の車種が違った。北斗が使っている香水の匂いがしなかった。その代わりにとでも言うように、爽やかなムスクの香りが車内には漂っていた。助手席に翔太は乗っておらず、隣に座っていた北斗の服装が私服からスーツに変わっていた。俺自身の格好もそうだ。
「……は?」
 瞬きを繰り返したところでこの状況が変わるわけもない。
 そうして、俺の様子がおかしいことに気づいた北斗がこう言ったのだ。「今日はこれから翔太の結婚式」なのだと。結婚。何度聞いても頭が痛くなる言葉だ。


 その式場は住宅街の中にあった。敷地は存外広いらしく、駐車場に着いても教会らしき建物は見えない。
 車から降りた北斗に続いて地面にかかとをつける。ふう、とネクタイを緩める北斗を見つめていると気がついてしまった。
「おまえ、背縮んだか?」
 おかしい。北斗の目線が上ではなく横にある。ルーフに肘を乗せながら問うと、北斗はじとりと目を細めて唇を尖らせた。
「こんなところに来てまでいじめるなよ。背なんて、もう何年も前に追いついてただろ。そろそろ翔太にも抜かされそうだって、こないだ話したばかりなのに」
「……っあ、ああ。そうだったな。悪い」
 北斗の台詞を聞いてドクンと心臓が高鳴る。一度鳴ってしまったら、まるで警告音のように鼓動が速くなって、呼吸が上手くできなくなった。
 何年も、と言ったか。目眩がする。こいつの見た目はどこを切り取ったって北斗そのものなのに、こいつは俺の知っている伊集院北斗じゃないと言う。その事実にこの場から走って逃げ出したくなってしまった。目が醒めたときもそうだが、良く叫ばなかったなと自分自身を褒めてやりたい。
 俺は嘘が苦手だ。思ったことがすぐ顔に出るほうだと思う。けれども今この状況で、俺が俺じゃないことがばれるのはまずい気がした。本当は取り繕える自信なんかない。北斗とプロデューサーに俺は俺じゃないんだと縋りつきたかった。だが、やるしかない。
 ――このまま、俺は翔太の結婚式に参加する。
「お待たせしました。行きましょうか」
「はい」
 プロデューサーを先頭に北斗と並んで歩き出す。確かに、言われてみれば視界がいつもより高い気がした。ぎこちない足取りで周りを見渡す俺に、北斗は俺が緊張していると思ったらしい。ネクタイを締め直しながら微笑んでいる。
「そんなに緊張しなくたって、おまえが何かするわけじゃないんだぜ? 冬馬、俺たちは翔太の門出を笑顔で祝うだけでいい」
「それができれば苦労はしねえな」
「できるさ」
「さすが色男。簡単に言ってくれるぜ」
 軽口を叩きながらスラックスのポケットに指を入れて歩く。広い敷地を数分も歩けばようやく教会が見えてきた。隅々まで手入れが行き届いている庭の中心。薄いクリーム色をした建物の扉はまだ閉まっていて、今から式があるとは思えないほどに閑散としている。
 さらに数分歩けば、次は真っ白な披露宴会場が見えてきた。スーツを着た男にドレスを着飾った女。十数人ほどだろうか。ウェルカムドリンクを片手に、誰もが楽しそうに談笑している。
「冬馬くん、北斗さんっ。それにプロデューサーさんも……今日は翔太のためにありがとうございます。お仕事だったんですよね? 色々用意しているので、時間までゆっくりしていてください」
 受付をしている女には見覚えがあった。翔太のすぐ上の姉だ。今朝も見かけたが、そのときは肩までしかなかった髪が背中まで伸びている。化粧もしているからだろうか。北斗には感じなかった外見の――何年も、という言葉の重みをまざまざと見せつけられてしまった。
 それを直視できずに辺りを見渡せば、壁に飾られた何枚もの写真が目に入った。引き寄せられるように足を運び、壁の前に立つ。
 億万の光を背にして笑う翔太。隣には知らない女が翔太に寄り添ってピースサインをしている。
 ……いや。知らない女じゃない。この女のことを俺は知っている。去年の冬、翔太に向かって微笑みかけたあの甘ったるい顔を。翔太の手を握り、手渡したCDケースの中身を。名前は確か――。
『琴梨と言います。わたし、御手洗さんのファンなんです』


 その年の冬はいっそう忙しく、俺たちに休みはなかった。
「せっかくイルミネーション見に行こうと思ってたのに、これじゃあ春になっちゃうよー」
「仕事なんだから仕方ねえだろ。つーか、イルミネーションなんてわざわざ金出して見に行かなくても駅に行けば見れる」
「……冬馬君ってロマンチストのくせにそういうところあっさりしてるよね。僕と出掛けてもつまんないって思ってるんでしょ」
「誰がロマンチストだ! ……ったく、変なひねくれ方してんなよ」
 楽屋のテーブルに頬を預けていた翔太に手を伸ばす。バンドでまとめられた頭を撫でると「えへへ」と、くすぐったそうに笑った。
 そんな翔太に手首を掴まれて、手のひらに頬擦りをされる。その緩みきった表情は幼い子どものようで、甘えられていると思った。俺が何も言わないからか口付けたり指先に歯を立てたり、まるでおもちゃにご執心な猫だ。
「冬馬君の手、僕好きなんだよね」
 俺と翔太は恋人同士というやつだった。翔太に好きだと言われて、俺のほうがほだされた。あの翔太が泣きじゃくりながら俺に好きだと訴える姿はなかなかに衝撃的だった。男は女の涙に弱いというが、俺はこいつの涙に弱かったらしい。
 その告白に頷きはしたものの、俺は翔太に対して恋愛感情や特別な想いがあるわけじゃなかった。ただ、拒絶するほどの嫌悪感もなかっただけで。
 同じユニットのメンバー。世話のかかる弟のような存在。そこに『恋人』という肩書きが増えたところで俺たちの関係が変わるわけもない。大丈夫。うまくいく。きっと翔太のことを好きになれる。そんな根拠のない自信を抱えながら……結局、俺から翔太に好きだと告げたのは三ヶ月もあとのことだった。
「翔太」
 好き勝手にされていた手に力を込めて頬を撫でる。つるりとした肌に手のひらを滑らせて顎を掴むと、唇を寄せて音もなくキスをした。
「あー……じゃ、今度見に行くか。駅のほうなら仕事帰りに行けるだろ」
「いいの?」
「おう」
「嬉しい。ありがと、冬馬君」
 両頬を掴まれてキスをされる。先を促すように唇を舐められて、控えめに口を開くと翔太の舌が入り込んできた。ぎこちなく舌を絡めながら目を閉じる。
 ……キスは、気持ちが良い。甘ったるい吐息を聞くと背中がぞくりと痺れてしまう。
 こうやって、北斗が見ていないところで触れ合うことにも慣れた。でもまだ足りない。もっと触りたい。もっと近づきたい。好きだ。好きだ好きだ好きだ。頭の中で何度も繰り返しながら翔太を抱き寄せる。
 苦しいと言って離れていった唇を惜しみながら目の前の肩口に額を擦りつけた。使っているシャンプーの香りか、まるで花のような匂いがする。
「……とうまく、」
「ごめん二人とも。ちょっといい?」
 扉を叩くノック音に慌てて翔太から距離を取る。濡れた唇を拭い、開いた扉に視線を向けると、そこには何を企んでいるのかにやにやと笑う北斗が立っていた。
 テーブルに伏して寝たふりをしている翔太に「起きろ」と声を掛けながら肩を揺する。茶番にもほどがあるが、ついさっきまで俺たちキスしてたんだぜ、なんて態度は見せられなかった。
「俺たちに挨拶したいんだってさ」
 そんなことを言いながら、翔太が起き上がったタイミングで北斗が誰かを手招きする。なんだなんだと北斗の元へ近づけば、扉の向こうから現れたのは学生服にも似た衣装を着た女だった。歳は翔太と同じくらいか。栗色の長い髪が揺れている。
「はじめまして。先日、メアリプロダクションからデビューした琴梨《ことり》と言います。わたし、皆さんの――御手洗さんのファンなんです」
 翔太に向かってまっすぐに両手を差し出した女に当の本人は目を丸くしていたが、北斗に促されて同じように手を伸ばした。女の小さくて白い手が翔太の手に絡む。「皆さんの」なんて口にしていたくせに俺と北斗はまるで空気だ。俺はともかく、北斗に目もくれない女はめずらしい。
 琴梨と名乗った女は人当たりの良さそうな笑みを絶やすことなく、手提げていた鞄から一枚のCDを取り出した。
「あの、これ。わたしのデビュー曲なので、よかったら聴いてください」
「……うん。ありがとう、えっと……」
「琴梨ちゃんでいいですよ。今日はよろしくおねがいします」
 深々と頭を下げて女は俺たちの楽屋をあとにした。
「――楽屋の前をうろうろしてたから声を掛けたんだ。挨拶しに来たんだけど、緊張してノックできなかったらしいよ」
 扉を閉めて三人きりになると北斗が口を開いた。訝しむ俺の視線に気づいたからかもしれない。
「かわいい子だったし、翔太にも春が来るんじゃない?」
「ええ? 僕、そういうのあんまり興味ないんだけど」
「まあまあ。もらったCD、俺にも見せて」
 北斗と翔太の会話を聞きながら俺は一人座っていた場所へと戻った。
 ――気に食わねえ。あの女の態度の何もかもが。俺の勘違いなんかじゃない。あいつは最初から最後まで翔太のことしか眼中になかった。何がファンだ。そんな可愛いもんじゃねえだろ。熱を帯びたあの目は、翔太が俺を見る目と同じだった。
「ほら、やっぱり翔太のことが好きなんだってあの子」
「もー。だからってなんで北斗君がそんなにはしゃぐの。連絡なんか絶対にしないからね」
「何かあったのか?」
 一人盛り上がる北斗を尻目に話しかければ、翔太は心底面倒くさそうにため息を吐いた。
「……中に電話番号書いた紙が入ってて、『いつでも連絡ください。今度一緒におでかけしませんか?』だってさ。こういうの、手慣れてるって感じがして僕はやだなあ」
 ピンク色のメモ用紙を指先で摘み上げてひらひらと見せびらかす翔太に俺は何も言えず、テーブルの上に置かれたCDケースを睨みつけることしかできなかった。


 連絡? するわけないじゃん。あのCDもね、琴梨ちゃんには悪いけど捨てちゃった。僕が好きなのは冬馬君だけだし、冬馬君が泣いちゃうようなことはしないよ。
 駅前のイルミネーションを眺めながら翔太はそう言った。
 凍えそうな夜空の下、鼻先を赤くして白い息を吐く翔太の横顔を俺は今も覚えている。「僕が好きなのは冬馬君だけ」……なら、今俺の前に広がるこの光景は一体なんなんだ。
『美男美女カップル。お似合い。二人とも幸せそう』
 そんな、悪意のない言葉がちくちくと胸を刺してくる。恋人たちの軌跡を彩るツーショット写真。嫌々ながらも眺めていて気がついてしまった。俺は、翔太と一緒に撮った写真を一枚だって持っていない。
「――ッう、くっ、ぅええ、」
 トイレに駆け込んで流し台に手をつき、込み上げてきた胃液を吐き出した。焼け付くような痛みに涙が滲む。
『可愛らしい二人。とってもお似合いね』
 そんなことは言われなくてもわかっている。女の隣で笑う翔太は、俺と一緒に居るときと同じ笑顔を浮かべていた。俺じゃなくても良いのなら、あの姿のほうが自然だ。似合っていると、そう思ってしまった。
 初めから翔太の告白に耳を貸さずに突き放すべきだったのか。俺がそうしていたら、翔太にはあの女との未来があったのか。わからない。何が正しくて何が本当のことなのか、俺にはわからない。
「くそ……っ!」
 瞬きをすると滲んだ涙がこぼれ落ちた。涙は止まらず、次から次へとあふれてくる。
 あわよくばさらってやろうと考えていた。ドラマや映画の出来すぎた脚本のように。二人が永遠の愛を誓う前に翔太の腕を掴んで、あの教会から逃げ出してやろうと考えていた。馬鹿みたいだ。俺にそんなことをする権利はないのに。そんなことをして、この世界の翔太が喜ぶとも限らないのに。
 冬馬君、と翔太が俺を呼ぶ。泣きながら俺のことを好きだと繰り返している。
 あのとき俺は岐路に立たされていた。翔太の想いを拒絶するか、受け入れるか。受け入れたところで同じだけの愛を返せるとは限らない。そう思いながらも手を伸ばしたのは、翔太に対して情があったからだ。あの手を払いのけることなんて俺にはできなかった。
「好きだ……っ、翔太、好きなんだよ……ッ!」
 初めて好きだと伝えたとき、翔太は「よかった」と言って嬉しそうに微笑んだ。そんな翔太を見て、俺は、こいつは何もかも知っていたんだろうなと思った。
 翔太の、俺にだけ見せるわがままで甘えたな態度が好きだ。CDを捨てたと聞いたときは堪らなく安心した。そう思えるほど、俺は翔太のことを好きになってしまっていた。
 本当は、俺のものだと言ってやりたかった。翔太は俺のものだとあの女に向かって叫んでやりたかった。けれど。
 このまま翔太と一緒に居て良いのか。俺が下手な優しさであいつの想いを掬い上げたから、祝福される未来が潰れたんじゃないのか? 足元がぐらぐらと揺れる。言葉にならない悔しさに嗚咽がこぼれる。こんなに好きなのに、なんで俺は、あいつに真っ当な幸せをひとつだって与えてやれないんだ。


 肩を、誰かに揺すられている。聞き慣れた声が俺の名前を呼ぶ。目を開けて、見上げた先には翔太が居た。北斗の身長に追いつくまではまだまだ掛かりそうな、俺が知っている翔太が居た。
「っ翔太!」
「うわ、なになにっ、どうしたの冬馬君!」
 後部座席の扉を開いていた翔太に思いきり抱きつくと、苦しいと訴える声が聞こえた。ぎゅうぎゅうと痛いくらいに抱きしめて、嗅ぎ慣れた匂いに安堵の息をつく。
「本当にどうしちゃったの? 怖い夢でも見た?」
 戸惑いを含んだ声に恥も外聞もなく頷いて、翔太の腹に額を擦りつける。そうしていると肩に触れていた手が背中に滑り、とんとんと一定のリズムで叩きはじめた。これであやしているつもりらしい。いつもは翔太のほうが俺のことを「お母さんみたい」なんて言ってからかうくせに。
 鳴り止まない心臓の鼓動のせいでプロデューサーと翔太の会話が遠くに聞こえた。
「……もう。プロデューサーさんも北斗君もびっくりしてたよ。車の鍵借りたから、落ち着いたら一緒に上がろう?」
 二人きりになるタイミングを見計らっていたのか翔太が俺の頭を撫でた。そのまま頭を優しく抱きかかえられて目を閉じる。
 あれは夢だったのか。なら、式が始まる前に目が醒めて良かった。写真を見ただけでもおかしくなりそうだったのに、俺以外の人間に好意を向ける翔太を直視する勇気なんてない。
「翔太……」
 いつか俺がそうされたように、頭を撫でる翔太の手を取って頬に寄せた。掴んだ手首がびくりと強張る。
「冬馬君、ずっと僕のこと呼んでたって北斗君が。そんなに怖い夢だったの? もしかして僕、死んじゃったとか?」
 大丈夫。ちゃんと生きてるよ。だから泣かないで。
 耳触りの良い声がそんなことを謳う。夢の内容を言おうとして顔を上げると、目を細めて柔らかに微笑む翔太と目が合った。俺だけに見せる、とろりと熱を帯びた瞳。目は口ほどに物を語るというが、翔太を見ていると本当にその通りだと感心する。
 そして、翔太がこんな表情を浮かべているのはどうしたって俺のせいだった。
「……おまえ、本当に俺のことが好きなんだな」
 意表を突いた俺の発言に驚いたのか、翔太は一瞬だけ目を丸くして、それから親指の先で俺の下まぶたをなぞった。それは涙を拭う所作にも似ていた。
「うん、好きだよ。たぶん冬馬君が思ってるより僕は冬馬君のことが好きだと思う」
「……そうかよ」
「ねえ。もしかして僕、振られてる?」
「ちっげえよ。そういうことじゃなくて、なんつーか、」
 写真の中で笑っていた翔太が脳裏に焼き付いて離れない。
「俺たち、好き合ってるのになんで結婚できねえんだろうなって思って――ッ!」
 口にしながら、自分が何を言ったのか自覚して顔に熱が溜まる。何も言わない翔太の視線が痛い。最悪だ。こんなことを言うつもりはなかった。
 はあ、と盛大なため息をついて頭を左右に振る。
「……悪い。さっき言ったことは忘れろ」
「やだ」
「はあ? おまえ何言って、」
 翔太の身体が俺にのしかかってくる。抵抗する暇もなく押し倒されて後部座席の扉を閉められると、狭い車内はたちまち密室になった。
 名前を呼ぼうとして開いた口を塞がれる。柔らかな唇は可愛げのある音を立ててすぐに離れていった。
「僕には冬馬君だけだよ。将来のこととか考えてないわけじゃないけど、それでも、ずっと冬馬君の隣に居たいって思ってる。冬馬君も、そう思ってくれてるんじゃないの?」
 翔太の頬が薄っすらと赤く色づいている。きらきらと光って期待に満ちあふれている瞳には赤くなった自分の顔が映っていて、つい目を逸らしたくなった。
 喉に絡んだ唾液を飲み込んで、俺は翔太の腕を引いた。倒れ込んできた身体を抱き寄せて、ありったけの愛を囁いてやる。もう迷いはなかった。こうするべきだとわかっていた。
 俺が翔太の手を取った瞬間、あの未来は消えたんだろう。あれはきっと翔太に用意されていたもうひとつの未来だ。大層な祝福を受けながら永遠の愛を誓い合う二人。そんなもんクソくらえだ。祝福なんかされなくても愛は誓える。今更、他のやつに取られてたまるか。
「俺の人生は翔太にやるよ」
 噛みついた唇はため息が出るほど甘かった。


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